平成医療改革31年史

第1回

大病院志向が蔓延した

平成初期の頃、「体調が悪い」と思ったら、どこの病院に行きましたか。
昭和の後半に医療機器が大進歩したために、平成初期の頃は、「医療設備、検査設備を素晴らしく整えた病院」と「検査設備が整っていない病院」に分かれていたのです。そして、健康保険のシステム上、どこの病院やクリニックに行っても、かかる費用がほぼ同じだったのです。
となると、症状の軽い重いに関係なく、設備が整っている信用できそうな大病院に訪ねいこうとするのが、当然です。

そうなのです。大病院志向が高まって、皆が大病院に行こうとする習慣が根付いていたのです。そのために、大病院に患者が集中し、専門的に特化した能力のある医師が、治療がマニュアル化されている軽症の病気の患者までもたくさん診察することになりました。
医師法により応召義務を負わされている医師は、診療の申し込みを断るわけにはいきません。大病院の医師に患者が集中します。当然、患者一人一人に向き合う時間を短くせざるを得ませんでした。十分に説明をする時間が持てないのが、当たり前になりました。

病院規模に応じて、保険外費用を徴収

平成改革の第一歩目は、患者が通院する医療機関を分散させる改革でした。小病院、クリニックの経営者の集団である医師会は、この改革には大賛成でした。それで今までは、いがみ合い、敵対する部分も多かった厚労省と医師会が、タッグを組んだのです。
そこで描かれたのが、「かかりつけ医」の構想です。近所のクリニックの医師から紹介があった時のみ大病院に行ける、というシステムを基本とします。患者の立場から見ると、「いきなり大病院に行ってはいけない。まずは近所の小さいクリニックに行きなさい。そして、そこで治療を完結できない病態であるなら、大病院に紹介状を書いてもらいなさい」ということになります。これは、イギリスの医療シろアムを一部でイメージしています。
といっても、いきなり、「患者たちに対して大病院に行くな」というわけにはいきません。そこで、近所の医師の紹介なしで大病院に行く場合は、健康保険の診療費の枠外に費用がかかるシステムを構築しようということになりました。その金額は平成初期の頃は2000円くらいでしたが、平成晩期には、選定療養費という名目で、それぞれの大病院ごとに5000円以上で定めることができるようになっています。いきなり大病院を受診すると、通常の診療費以外に、その費用がかかるということなのです。
患者さんには、できる限り近所の病院に通ってもらって、マニュアル化された治療はそこで遂行してもらおう、ちょつとした健康トラブルは近所の医療機関で解決してもらおう、という方針は、大病院の患者を減らし、クリニックを繁栄させることを考えると良い方針でした。但し、大病院は患者が減ると、売上が低下します。それを補填する仕組みを要求することになります。

政府によって医療改革の突破口が

さて、そのような仕組みを設けると、今度は、病院を規模や能力に応じて分類する必要が生まれました。少なくとも、「この病院には選定療養費が必要です」「この病院には選定療養費は不要です」を区分けしなければいけません。病院を分類する権限を有するのは、政府になります。「政府が認めた」で権威付けするのは、政府の得意技です。

ここが、医局支配、医師会支配が根付く医療社会に対する、政府による医療統制の突破口となり、平成医療改革が始まったのです。

「平成医療改革31年史」一覧へ戻る